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代替エネルギー推進デモ (2011年4月27日)

これからお話しすることはいわばオモチャの発電所のお話です。
オモチャのエネルギー、わたしの手に届く場所にあるオモチャの力のお話です。

 
 
2011年4月に開催された東京日仏学院<詩人たちの春>で上演した作品。出演の打診は2011年2月だった。フランスの詩人とコラボレーションする企画だったが、3月に東日本大震災があり、出演者に変更もあり、特に協同して作ったりすることはなかった。パントマイムとスクリプトの朗読、即興詩のグーグル翻訳という3本でパフォーマンスを行ったが、スクリプトの翻訳がなかったので、日本語のわからない観客に伝わらないことは多かったに違いない。パフォーマンスの出来自体は良かったと思う。
 
以下のスクリプトはこの年7月の「現代詩手帖」に掲載された。
 
 
代替エネルギー推進デモ
2011年4月27日 東京日仏学院「詩人たちの春」
TOLTA(河野聡子+山田亮太+関口文子)

 

「代替エネルギー推進デモ」は、41のパートで構成されたスクリプトに基づいて上演される。

 

[役割]

A 話す人。スクリプトを読み上げる。スクリプトは早口でまくしたてられなければならない。
B 書く人。Aの発話内容に反応しながら言葉を書き続ける。書かれた言葉は自動翻訳によって他の言語に翻訳される。一連の書記の行為および書かれた言葉はすべて観客に提示される。書く手を止めてはならない。また、適当なタイミングで各パートの表題をアナウンスする。表題がアナウンスされ次第、Aは次のパートに移行する。
C 動く人。身体を使って、エネルギーそのものを表現する。各パートの表題のみから動きをイメージする。どんな表現をしても良いが、「発電している」ということをよく意識した表現にすること。Bによって表題のアナウンスがなされたら、次のパートに移行する。

 

[オープニング事例]

B、ノートパソコンでWEBブラウザを開き、検索窓に「翻訳」と入力。「Google翻訳」を選択。「元の言語」を「日本語」に、「翻訳する言語」を「フランス語」に設定。「代替エネルギー推進デモ」と入力。自動翻訳によりフランス語訳が表示される。画面上の一連の動きは舞台背後にプロジェクターで映し出される。つづいて「エネルギーを見いだすこと」と入力。
C、発電のための準備をする。
A、スクリプトを読み上げる。

 

[スクリプト]

 

1 エネルギーを見いだすこと

わたしはこの手に物質をもちません。
都市で生活する多くの人の手、文字通りその手から、モノが取り上げられて久しくなりました。こどものころは粘土をこねくりまわしてボールを、茶碗を、テレビをつくり、お城を建てました。ところが大人になってみれば、何で出来ているのか、どうやって動いているのかもわからない、いったん壊れればどうしたらいいのか皆目わからないものに囲まれて、なんとか生きています。
原子の力でエネルギーを得ても、その仕組みについては無知で、ひとたび危険な事態が起きれば遠くで騒音を立てるだけの私です。ひとがエネルギーを見出すこととは、エネルギーをだれもが使える形へ変化させることでした。原子核反応もそのひとつでしたが、これは私がまったく意識しないふしぎな魔法にすぎませんでした。ではエネルギーといったとき、いったいほかに何があるのでしょうか。

 

2 魔法のような新素材、新技術

このさき、太陽の熱から、空気中の水素から、豚のおならから、風や海から、物質の核から、魔法のようにエネルギーをとりだす技術がまた、新しくあらわれる。そうかもしれない。それとも私はこの身体が所属する空間すべてになんらかの力をみつけだし、使う方法を考えるのでしょうか。電気が最初に見出されたとき、それはとても小さい、人が使えないような形でしか存在しない力でした。これからお話しすることはいわばオモチャの発電所のお話です。オモチャのエネルギー、わたしの手に届く場所にあるオモチャの力のお話です。

 

3 蒸気電話

わたしは朝顔の種をまきます。つる植物を窓に這わせて日よけにします。葉から水分が蒸発するとき気化熱が発生し、建物周囲の空気を冷やします。植物を植えるのは省エネ効果ではなく、代替エネルギーの活用です。水が蒸発するときにエネルギーが発生します。蒸気は19世紀に一世を風靡したエネルギーの基礎でした。いまだに大規模な発電所は最後に蒸気でタービンをまわし、電気をつくります。蒸気はかつて、人の声を伝える手段となることを夢みられた。温めたパイプを振動が走り抜け声に変換されるのを夢みた。我々はエネルギーと技術の夢をみて、夢みるだけではすまないところまで行きました。私は昨年、職場の窓辺に朝顔を植えた。順調に大きくなり、天井にまで達した蔓から葉っぱが重く垂れさがった。やがてどこからか小さな虫がやってきて、ぴったりくっつき、大発生しました。

 

4 太陽熱アイロン

私の祖母はアイロンのことを「こて」と呼んでいました。祖母の家には、かつて、炭を入れて使うアイロンのようなものがありました。片面がアイロンのようにつるつるの金属の容器に熱した炭を入れて熱くしていたのでした。いまの生活で炭を復活させることはむずかしい。わたしの家には煙突もなく、かまどもない。きっと一酸化中毒大会が盛大に開かれることでしょう。太陽の光は中毒になりません。我々はアイロンに太陽を入れたい。真夏のベランダで太陽をののしっているすきに、アイロンをその手ににぎりしめる。我々に光を!熱を!アイロンを!そしてパリパリの白いシャツ、アイロンから太陽を入れたシャツを着て、出かけていくのです。

 

5 エアロバイク洗濯マシーン
全世界の男女が美容とダイエットにかける情熱、深夜のテレビ番組でダンベルや得体のしれないプラスチック製の器械を買いこむ人々のことを考えてみてください。代替エネルギーとして求められるのは、この情熱をエネルギーへと変換し、ダイエットを完遂させ見栄をみたし運動不足も解決し将来の成人病に備えながら日々の生活に必要な家事さえ行うという一石五鳥ともいえる仕組みです。これを実現させるのがエアロバイク洗濯マシーンです。バイクをこぐこと、それはすなわち洗濯をすることであり、運動をすることであり、健康に配慮することです。スポーツジムにもエアロバイクがずらりとならび、人々は壁や窓にむかってひたすらこぎ続けると同時に、コインランドリーの使用権も手に入れます。

 

6 気化熱壷冷蔵庫

気化熱とは一定量の物体を気体にするために必要なエネルギーのことです。2種類の大きさの壺の間に濡れた砂をつめ、風の通る場所へ置いておくと、砂から水が蒸発する過程で砂の周囲の空気から熱が奪い取られ、内側のつぼが冷やされる。ものの形がかわるとき、エネルギーが使われます。氷が水になるとき、水が気体になるときにも、必要なエネルギーとして空気の熱が使われます。こうして東京では冷蔵庫というには足りないが、チョコレートが溶けない温度にしておくことはできるかもしれません。

 

7 ペットボトル水上自転車

ペットボトルがいかに軽く、持ち運びがたやすく、水に浮くということはふだん忘れられています。東京のように、水際に位置し、大きな地震で液状化する都市にとって、また集中豪雨が局地的に起き、すぐに道端に水があふれる今日このごろ、ペットボトルが水に浮くということは非常に重要なポイントです。朝起きたら周囲が水たまりになっていたとして、あなたはいったいどうやって通勤しますか? 勤勉な日本人の名誉にかけて、たかがその程度で「今日は会社に行けない」などと思うべきではありません。ペットボトルで水の上を走れるようになれれば、われわれは救世主にだって会いにいける。
2009年、大きなペットボトルを自転車の車輪にセットした、画期的な「水上自転車」が中国湖北省で発明された。水陸両用自転車で、金属の駆動装置で車輪にとりつけたペットボトルが水上を浮きながら前に進むことができるというばかばかしい乗り物です。だがこんなときにもまじめに通勤する場合には、ばかばかしさこそが救世主なのです。

 

8 日本のお風呂

日本のお風呂の素晴らしさは世界がみとめています。すくなくとも、世界のすばらしいローテク発明として認定されたくらい、素晴らしいのが日本のお風呂です。ところが最近はバスタブなるものが普及しました。かつて銭湯以外の家庭によくあった、体を折り曲げて入り、肩まで沈む、あのスタイルのお風呂はいまや、絶滅危惧種となりつつありますが、エネルギー問題の観点から見た日本のお風呂の素晴らしさを以下に告げてみましょう。ひとつ、湯を張った水面が小さいため熱の発散が遅いすなわち冷めにくい、ふたつ、設置場所も狭く、熱を逃さないための蓋も小さくてよいので子どもにも扱いやすい、みっつ、肩や首まで短時間で温めることができる、よっつ、小さなお風呂で、膝を折り曲げ肩までつかって胎児の姿勢をとると、水の浮力を感じることができる。
広いバスルームの大きな風呂、泡が出たりとびだしたりなんとかするお風呂を独占するのが素晴らしいというのは、20世紀の終わりからきたちょっとしたバブリーな流行りにすぎません。この、完全にひとりになれる小さなお風呂、これほど素晴らしいリラックスの場所はじつはないのです。

 

9 ついでにバスルームに水車も追加

しかしあなたがもしシャワーも使いたいというなら、バスルームに小さな水車を置き、バスルームの照明を助ける程度の発電はこころみてもいいでしょう。トイレのタンクに水が流れ、バスルームのシャワーが動くたび、発電タービンがキャパシタに電気をためていきます。身近にある回転するものからエネルギーを取り出す努力と工夫が今後ますます勤勉な日本人、まじめな方のわたしたちを駆り立てるのですが、いっぽうまじめでないほうの私たちというのも確実に存在していて、こちらのわたしたちは、ありがたくまじめな人が貯めたエネルギーを使わせていただくのです。とはいえまじめでない、勤勉でないほうの私たちも、ゲームをするときにはまじめになります。一心不乱にマウスをクリックして戦っていますから。そして一心不乱にクリックするマウスからでさえ、ひとたび本気になった人類は発電をするのです。

 

10 ハムスター

ところでハムスターはマウスに似ているがマウスの仲間ではなく、キヌゲネズミ科に属し、ネズミの一種ではあるがあまりネズミのようでありません。ハムスターが一心不乱に回し車をまわす様子をあなたはみたことがありますか? ハムスターは遊んでいるのですが、この回転する車からエネルギーがとれないかと、代替エネルギーにめざめた我々は当然考えるのであって、その結果ペットタービンともいうべき装置が発明され、ペットショップでは発電も可能なハムスター飼育セットが販売されることになるでしょう。

 

11 ニギリ発電

きたるべき代替エネルギー論にとってもっとも重要なことは、普段の生活で発生しているエネルギーが電気の形に自然に変換されなくてはならない、ということです。家庭で、あるいは日常生活で、人間が自然に行っている動きにともなう発電を考えなければならない。
「ニギリ発電」はその回答の一つです。自然に行う動きにともなう発電といえば「歯ぎしり発電」や「貧乏ゆすり発電」なども考えられますが、これは個人の身体的特徴に依存する部分が大きすぎるため、割愛します。

 

12 ドアノブ

ニギリ発電機の第一候補といえばやはり「ドアノブ」です。この装置の厄介なところは、右に回すべきか左に回すべきか、押すべきか引くべきかがわからなくなってしまうところで、その一瞬の躊躇がこめられて、ドアノブを握るわれわれの動作は、ときに祈りをこめたように重くなります。
その力を圧電素子によって電気に変えるために、ドアノブは今後、軽くまわしやすく開きやすいバリアフリーでしゃれた方向にではなく、開きにくく、力をこめ、ぎゅっと握りしめる形状へと進化しなければならない。そして、その使いにくいドアノブに対する苛立ちはドアそれ自体へも向けられるのですが、そうしてバタン!と大きな音を立てて腹立たしげに開かれるドアの運動もまた発電に向けられます。
代替エネルギーの社会では、ドアを静かにひっそりとあけしめする人間は、礼儀にかなっていないと非難されるようになるでしょう。ドアノブをしっかりと握りしめ、その勢いをドアに叩きつけるようにして開いた瞬間、その先のオフィスの明りが一斉にともるのです。

 

13 おにぎり

だが「ニギリ」といえば、あれを忘れてはなりません。それは、実際は大した力を入れてにぎっていない「寿司のにぎり」ではなく、ニッポンのソウルフード、しっかりと握りしめられた「おにぎり」です。われわれはおにぎりを食べるとき、この握られた力を体内に充填しています。この力をニギリのプロセスにおいてすら利用可能な形で蓄積できないかという試みが、ニギリ発電ともいえるのです。これこそはきわめて人間的な力です。ニギリ発電の単位は既存の電気の単位以外におにぎりで表記され、1おにぎり、2おにぎりとカタログに書かれます。

 

14 チーズ

エネルギーを生み出すのがタービンの回転のようなメカニカルなものだけだと思うのは間違いです。化学反応によって熱が生み出されますが、それを電気に変換する仕組みをつくれば、あらゆる発酵食品、チーズや納豆やヨーグルトや日本酒の製造過程からエネルギーが取り出されるようになるでしょう。なかでもチーズが最も有望なのは、もちろんこれが、黄色いからです。黄色は電気の色、太陽の色です。

 

15 ラジオ体操

ラジオ体操は、筋肉という装置に電気エネルギーを発生させる活動です。それは次のような運動からなっています。1、のびの運動、2、腕を振ってあしをまげのばす運動、3、腕をまわす運動、4、胸をそらす運動、5、からだを横にまげる運動、6、からだを前後にまげる運動、7、からだをねじる運動、8、腕を上下にのばす運動、9、からだを斜め下にまげ、胸をそらす運動、10、からだをまわす運動、11、両あしでとぶ運動、12、腕を振ってあしをまげのばす運動、13、深呼吸の運動。日本では夏休みの子どもにスタンプカードなどを配り、毎日この発電活動に参加するよう奨励しています。

 

16 ふとんたたき

日常的なさまざまな行為からエネルギーを取り出すなら、家事から取り出すべきエネルギーは非常に多いと予想されています。ふとんたたきは見た目の派手さ、面白さ、充実感も含め、その代表格といえましょう。ふとんたたきとは、屋外に干し日に当てたふとんを文字通りたたくことで、これによって布団の内外にくっついたほこりやダニを叩きだすことですが、これを行うための道具もまたふとんたたきと呼ばれます。さらに、ふとんたたきをふるってふとんを叩く動作からエネルギーを取り出すことそれ自体もまたふとんたたきと呼ばれます。このネーミングはハエたたきがハエを叩く道具と行為を同時にあらわしているのと同じです。ただしハエの場合はエネルギー変換が低すぎるので、代替エネルギーの可能性はほとんどないと言われます。

 

17 セーターを編む

母さんが夜なべして編むのはおおかたの場合、手袋と相場が決まっていますが、手袋はすぐに編み上がってしまうため、夜なべエネルギー発生行為にふさわしいのはマフラーか、最良なのはセーターだと思われます。もとより手編みのセーターは、夜なべした人のなんらかの力がこめられたものとして、とくにバレンタインやクリスマスにあまり好きでもない相手からうっかり受け取ってしまうと、その力により何かが起きるのではないかと恐れられるくらいの潜在的エネルギーを秘めているのです。

 

18 子守唄

すべての物質は電子を持っています。そのプラスとマイナスの電荷が釣り合わなくなったとき、電気が流れます。たとえば毛糸をこすった指、帯電したそれが他の物体に触れあうと火花がちる。そして子守唄を歌うと赤ちゃんが眠り、赤ちゃんが眠ると、かならず、何かが発生するのです。

 

19 めがね

めがねはレンズと金属またはプラスチックでできています。レンズは小さいものを大きく見せるだけでなく、日光を集中させ、太陽エネルギーを集める働きをします。ですが、めがねのほんとうの力はべつにあるのです。みんなが認めているにも関わらずはっきり言おうとしない、めがねが持っている絶大なパワーとは、かけた人を頭がよさそうに、あるいは間抜けに見せる強力な作用です。プレゼンや上司との駆け引き、また合コンといった場面においてめがねがどのくらい強力な力を持っていることか。代替エネルギー開発において待ち望まれるのは、このめがねパワーを持ち運び可能なエネルギーに変換する技術なのです。

 

20 ピアノ

20年ほど前、ピアノは、一家に一台というほどいたるところにありました。鍵盤のストロークが木と皮でできた複雑な器械に伝わって、弦を打ち鳴らすことで、音が鳴り響くのが、ピアノです。全体を振動を伝える板でおおわれ、重い鋳鉄の枠が鋼鉄の弦を支えています。かつて、モーターと発電機の仕組みは逆です、と先生は教えてくれました。モーターをまわすために電気を必要とする一方、発電機はモーターを回して電気を起こす。それでは、スピーカーは電気を流して音にするが、なぜ音をスピーカーに流して電気にすることができないのか。それとも、音の振動をそのまま電気にすることはできないのか。そういう問いを発したひとがいました。圧電素子を使った研究の結果、音を電気に変えることができるようになりつつあります。やがてはピアノの鍵盤のストロークも、弦の振動も電気の光となり、クリスマスツリーを点灯するためにわたしたちはピアノを叩きます。

 

21 電卓

電池交換がいらないのが電卓のいいところです。ずっと昔から太陽電池がついているからです。ソーラー電卓です。ところが電卓にはなぜか電源ボタンがついています。これはリセットボタンです。太陽電池は起電力が不安定なので、薄暗いところから徐々に明るくなると、電圧も低い状態からだんだん高くなります。室内照明をつけた時や明け方の日差しを受けたとき、電卓のLSIは不安定な電圧に誤動作を起こします。電卓のONボタンを押すことでリフレッシュする、これが電源ボタンの役割なのです!

 

22 シュレッダー

代替エネルギー時代に必要な工夫とは、手回しシュレッダーをまわしているときに感じるむなしさすら有益なものに変換するために、シュレッダーをまわしながら同時に手動発電を行ってラジオを鳴らす、というように、生活のそこかしこに生まれる動作や熱を利用してエネルギーをつくりだし、これによってリフレッシュや楽しみの要素を導入することです。
だから電化製品の大好きな上司や夫に向っては、シュレッダーを電動にしたからといってシュレッダー作業が楽しくなるわけではないと説得しなければなりません。電動にしてシュレッダー作業が速くなれば、その分作業が楽しくなるのではなく、するはずでなかった仕事がもっと増えるだけなのはあまねく知られた事実です。

 

23 穴あけパンチ

穴あけパンチというものにも同様の配慮が求められます。厚みが10㎝にも達しようとする書類に穴をあけるべく、全体重をかけて両手で押さえつける巨大穴あけパンチに使うわたしの運動エネルギーが、書類への怒り、書類のもとになった会議への怒り、などというネガティブなものにではなく、すてきな三時のおやつへ変換されるような代替エネルギーが、求められています。具体的には、どら焼き、大福、シュークリーム、イチゴパイといったものへ変換されるのがのぞましいです。

 

24 エンピツ

いずれ、どのくらいの未来にか、圧電素子を使った発電方法が一般化し、エンピツで文字を書く圧力を電気に変換できるようになるでしょう。この技術はまっさきに学校の教室で応用されるべきです。先生が「はじめ!」といい、子どもたちはいっせいに下を向き、静かな教室にエンピツのカリカリいう音が響き渡ります。子どもたちがものすごいスピードで百マス計算をこなす。書けば書くほど教室は明るくなり、時々スパークします。エンピツがスパークします。机におちるエンピツの光と影が教室の思い出になる。こどものころ教室で発電をした日々として。

 

25 シャープペンシル

そしてシャープペンシルも進化のときを待っています。握る、押さえるエネルギーをいかに変換させられるかがポイントです。先端に、筆圧で回転する機構を組み込んだシャープペンシルはすでに存在していますが、連続して回転する場所にはエネルギーがつきものだからです。

 

26 クリップ

一連の文房具という道具類がこの世に登場して以来、クリップの潜在力はずっと秘められたままです。この文房具は強くも弱くもある結合力をもっていて、きわめて重要な働きを持っているにもかかわらず、個々の物体は常に軽んじられ、ポケットから転がり落ちても振り向かれることすらなく、ひたすら人類の酷使に耐えています。ですがこれからは、クリップのような、結合力をもった、小さく取るに足らない扱いをされているものこそが、大きな意味を持ってくるに違いないのです、それはクリップを一時的とはいえケーブルをつないだりするのに実際使ってしまうのにもあらわれています。

 

27 ホッチキス

ホッチキスもクリップと並び、なんらかのエネルギーを秘めていそうな物体として文房具部門ナンバー1の地位を占めています。カタログをひとたびめくれば、ホッチキスの多様な展開と年々つづけられる技術革新は一目瞭然です。ホッチキスが機関銃の製造開発元から生まれたように、いつの日か必ず「発電ホッチキス」が登場することは疑いないと思われます。

 

28 靴

靴こそは、人間の力が無意識にふるわれている最たるものです。毎日の生活に欠かせず、歩くたびに何らかの力を受け、くたびれ、しいたげられているが、けっして文句をいわず、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の歩道の暑さにも耐え、穴があいても踵が取れても、ぐちひとつ言わず外科手術に耐え、小石や泥の道でも従順に人間の足を守り従っているのです。その彼らが発電もできるとなったら!人間はついに靴に頭があがらなくなり、上ではなく下にあるものこそが偉大なものとなり、それでも靴はけっしておごりたかぶらず、そういうものに私はなりたい、などということもない。こんな謙虚な靴たちが、いまやぞくぞくと歩き出そうとしています。

 

29 アスファルト

その靴の下にはいつも、アスファルトで覆われた道がある。ぼくの上に道はない、ぼくの下に道は出来る、と靴はうたい、規則正しくダンスを踊る。アスファルトの下で、うけとめられる響きと振動が、力をたくわえるものにすいこまれ、道はほのかに光り、足もとをささえるでしょう。

 

30 線路は続く

そして靴たちの先で線路がつづき、上を走る電車の振動に耐えています。線路も靴や道とおなじく謙虚な生き物なのですが、やや特権意識が強い。なぜなら彼らの上を走るのは電車しかなく、都市という場所では、電車という生き物ほど、尊敬をもって遇されているものはいないのだから。

 

31 通勤電車

通勤電車の発電、とくに乗客による発電というアイデアは、ポピュラーでトリビアルな発想といえましょう。電気が足りないといわれるまでもなく、乗車率200パーセントの満員電車では、誰もが一度は、ぎゅうぎゅうと押し合い吊革を引き続ける力で照明のひとつやふたつ、灯せるに違いないと考えたはず。もちろん全員がせっせと足踏みしたとしても、せいぜい動いている間の照明や扇風機をまわす程度にしかならない、という意見はありますが、暗い車内で文庫本を読んで眼を悪くした人にとってみれば、それだけでも十分です。

 

32 階段

代替エネルギーの発展とは、代替エネルギー思考の発展です。代替エネルギー思考が身につくと、当然、階段を人間が上り下りすることで位置エネルギーが発生することを念頭におくようになります。節電といって廊下を真っ暗にし、エレベーターの一部を止め、上下3階程度は階段を使えと指示するだけではまだ足りません。階段を上る人間の位置エネルギーをいかに使うか。たとえそれが上司であっても、片思いの相手であっても、いけすかない同僚であっても、エネルギーは平等であり、エネルギーは中立です。

 

33 すべり台

すべり台発電は、台にのぼった人間の位置エネルギーを利用可能な形に変換する能力を有します。階段発電をすべり台発電として利用する企業が今後出てくる可能性は非常に高いでしょう。オフィスビルのすべり台発電改造が主要な傾向となれば、洋服屋はすべっても擦りきれない新素材のスーツを新たに売り出し、ビジネス雑誌はかっこよい、貫録あるすべり方について、またセクハラにならない立ち居ふるまいについてレクチャーを開始します。エネルギーがこのような形で利用されるようになれば、江戸時代から明治期にかけて、洋装に転換することによって礼儀作法の一部が変化したように、とてもたくさんのことが変わってくるでしょう。

 

34 会議

会議の席はつねにある種の緊張が満ち溢れています。たとえばそこでもっとも偉い人間が何かのはずみに怒涛のごとく怒りを表明し、それに対して誰かがとうとうと演説をまくしたて、そこで飛び散る敵意や困惑を恐れ矛先がむいてほしくないとうつむく人々がいる一方、いまこそ一発言ってやりたいと口を挟もうとする者、さらにこんな緊迫した状況でなぜかずっと舟をこいでいる同僚、かれをみつめてはらはらしている自分、といった具合です。これらはそうじて「緊張度発電」の対象となります。緊張度発電では、会議室の空気が緊張をはらんだものになればなるほどより多くエネルギーに変換されます。この発電はまた、その場を一歩離れると、緊張や気まずさはエネルギーに変換されているのであとあと禍根をのこさないという便利なものでもあるのです。

 

35 うちわ

これら会議は複合的なエネルギー変換の場となるでしょう。「緊張」だけでなく、たとえば物理的に、節電で空調をおさえた室内ではうちわを使用せざるをえないから、これら会議室設備のうちわにも圧電素子や太陽電池といったマイクロ発電装置が完備され、全員が一斉に仰ぐことで天井の扇風機が回転する、といったことがおきるのです。

 

36 資料

そしてさらに会議室では、人間の手首、指先、肘、といった複合的運動の結果としての、資料の一斉「ページめくり」が発生します。たしかに資源の節約の観点から、会議資料は簡潔に、薄く、がのぞましい。ですが
「お配りした資料の514ページをご覧ください」
などと言われた時、いっせいにページをめくる音が鳴り響く、これをどうにかできないものかと考えるのが、代替エネルギーを思考するということです。重要なのは見過ごされたまま浪費されている力なのです。

 

37 スポーツ

いまのところスポーツではこれら見過ごされた力はそのまま空に放たれていますが、代替エネルギーとしてプロスポーツ活動が見出されることに間違いありません。電力消費の牙城として非難されていたスタジアムは、これからの未来においては、エネルギー再利用と発電の最先端実験基地となるでしょう。野球においてはあらゆるバット、ミット、グローブに発電素材がとりつけられ、人間の活動がいかに大きなエネルギーとなるかが証明されるでしょう。広いスタジアムをくまなく走りまわるサッカーは靴や芝生にいかに瞬発的なエネルギーを蓄えるかがためされ、マラソンは長時間における持続的エネルギー発電のテストコースとなり、腕の筋肉活動の象徴のようなカヌーや、人間がとりうる発電動作の原点のともいえる自転車、ジャンプと回転の力が氷の上に炸裂するフィギュアスケート、そして、これらスポーツ全般のサポーターたちの、あの、いつ終わるともつきない応援のエネルギー。ボンボンを振り、巨大なフラッグを振りまわし、いつ果てることなく叫び続け、あげくのはて乱闘すらおこす、このエネルギーをスタジアムにいかに蓄えるか、といったことがくまなく考えられるようになるのです。

 

38 すもう

そしてさらに、ニッポンの国技たる「すもう」
スポーツとしては近年、なにかとスキャンダルにまみれているとはいえ、すもうとは、土俵の上で、とても巨大な男たちが、とても巨大な力をもってぶつかりあう戦いであると同時に、もとは神様に捧げる宗教的行事でした。すもうにおいては、土俵の上で巨大な男の巨大な足や手、体が、ぶつかりあう。はっけよい、のこったのこった、という掛け声とともに大きな力が土俵に伝わり空気中を飛び交い、その上を座布団が飛びおひねりが飛ぶ、これらの力をも土俵そして国技館がまるごとすくいとる。そのようにしてニッポンの「すもう」の、新たな道筋がひらかれます。

 

39 雷 太陽 風 波

高いところで、巨大な男たちが巨大な足で足踏みをする音が鳴り響きます。電気を帯びた雲と雲、雲と地面のあいだに電流が流れます。カミナリは帯電した積乱雲つまりカミナリ雲や大地との間に発生する、大規模な火花放電です。光と音を伴うカミナリ放電現象が雷電です。この音は神様が鳴らすものと信じられて「神鳴り」と呼ばれました。カミナリさまの好物はおへそです。稲穂がたつ夏から秋のはじめにかけて落雷が発生すると、放電で空気中の窒素が土に固定されます。稲穂は雷に感光する。だからわれわれは稲妻とよび稲光と呼びました。晴れている空の光は太陽からやってきます。いまのように地球を照らし輝いている状態の太陽は、63億年くらい続く見込みです。地球は46億年前にできあがり、最初の生命は40億年前に生まれ、いまいるような人類の目盛りはだいたい2万年に達したところです。太陽エネルギーは、太陽から太陽光として地球に到達するエネルギーです。太陽が地球を照らすエネルギーは17京4000兆ワットで、この数字を何かの形にして東京ドーム何個分になるか計算すると、十分気が遠くなれます。このうち半分がありがたくも、わたしが立っているこの地上に到達し、大気や土、海を暖め、しばらく熱などの形で大気圏にとどまり、生き物が活動し、満員電車に乗り、朝顔を育てます。暖められた空気は対流となって地球表面を流れます。風が吹きました。いまも吹いています。風は太陽が空気を暖めつづけるかぎりやむことがありません。風は強くも弱くもなり、人間が知覚できない小さなものを運び、ときに地表の大きな物体を巻き上げ、海の上にある船の帆をおし、ひとは地球の裏側まで旅をする。船は吹く風によって起こる波にのり、船の後ろに引き波が生まれます。水面がつながっていれば、遠くまで伝わってうねりになる。2011年3月11日、地震によって大規模な水の移動がおこり、最大38メートル以上になる大津波が日本の太平洋沿岸部へ到来しました。

 


――舞台上が暗くなる。

 

40 振動

それではここで、みなさんの手でエネルギーを発生させてみたいと思います。あなたの手をごらんください。(見ましたか?)その手をたたくことにより、振動が発生します。振動で発生する圧力はとても小さいので、電気に変換しようとしても、とても小さなエネルギーにしかなりません。東京ドームで数えることも到底できない大きさです。いま、小さなエネルギーをたくさん集めてみたいと思います。
ではみなさん、手を上げてください。
手をたたきます。
叩いてください。
もっと強く叩いてください。
もっと速く叩いてください。
もっともっと強く。
もっともっと早く。
もっと。

 

41 光
 

――舞台上が明るくなる。
 
 

(終)

 

TOLTA「代替エネルギー推進デモ」
2011年4月27日
東京日仏学院エスパス・イマージュ
出演:河野聡子、山田亮太、関口文子
スクリプト:河野聡子

 

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